一乗寺の歴史
初祖日秀聖人・荒川専正は、山形県新庄市の出身で、東京田端の旧上台寺の住職である荒川日治聖人に伴われて上京し、正式に僧侶の仲間入りをして専正と名乗ります。
大正10年(1921)に本山から函館に立ち寄り、この土地で布教することを決心しました。同年秋、函館での布教に精進し、浄財を仰ぎそれを財源とし、大正14年(1925)に湯の川町に移住します。
その後、檀信徒も増えて、さらに大信者の前田千代女の尽力もあって、ついに昭和2年(1927)8月に法華宗、函館教会所の設立認可を得ました。 しかし、その設立当時の借財に加えて、日常生活の苦難は、今では計り知れないものでした。
昭和20年(1945)6月に一乗寺と寺号公称認可され、昭和28年(1953)に前田千代女の寄進や、檀信徒の協力を得て、現在地へ移転改築されます。
第二世日進聖人・荒川元佑住職は、昭和52年(1977)4月に本堂、位牌堂、庫裡の増改築や屋根替えを行い、昭和57年(1982)堂内や外装の装飾を整え、寺観が一新されました。
平成16年(2004)荒川元秀住職が継承して、一乗寺が開創して80周年にあたり、境内の土地を拡張し、本堂をバリヤフリーに大改修し、納骨位牌堂、大広間、合葬墓を平成17年(2005)10月に完成させました。
創建に尽力した風間鶴松氏は、前田千代女の主人であり両者とも一乗寺の大恩人でもあります。今も昔も変わらず、檀信徒のためのお寺づくりを継承して、ここに大国山 一乗寺があります。